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【幸せのカギはテキトー?】世界で一番幸せな国フィジーの世界で一番非常識な幸福論【書評・要約】

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こんにちは、TKです。

今回ご紹介する「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」は、2011年に幸福度ランキングで1位を獲った、フィジーという小さな国で暮らしている永崎裕麻さんが、フィジー人がなぜこんなにも幸せになれているのかを、実体験ベースで語ってくれている本です。

フィジーという国は、地図で言うとオーストラリアの右、ニュージーランドの上にある国で、人口は90万人ほどの小さな国です。都道府県で言ったら、和歌山県に住んでいる人と大体同じくらいですね。

 

フィジーの魅力は、とにかく自然がすごい綺麗なところです。

飛行機で9時間もあれば行けるようなので、いつか行ってみたいと思っています。

著者:永崎裕麻さんのご紹介

フィジーでの暮らしぶりを書いた、永崎裕麻さんの経歴を簡単にご紹介しますね。

永崎裕麻さんは1977年、大阪府で生まれました。

神戸大学を卒業した後は、金融系のシステムエンジニアとして働くも、納期に追われてしまい、日々神経をすり減らしていたそうです。

 

そんなサラリーマン人生3年目のある日、週刊雑誌エコノミストで「世界で最も住みやすい都市ランキング」という特集を目にしました。

その特集を見た永崎さんは、「自分で住みやすい都市ランキングを作りたい、そしてそのランキング1位の国に住みたい」と思い、なんと会社を退職。その後は世界一周の旅に出たそうです。

そしてその船旅の中で、参加者に対して自己紹介をするシーンがあったのですが、何を話していいか分からず、「4年付き合った彼女と別れた話」をしちゃいます。

 

すると参加者のある女性がなぜか大爆笑。

自己紹介終わりにその女性に「僕の話ってそんなに面白かったですか?」と聞きに行くと、「全く面白くないで、ただ、悲しい時こそ笑わんとな」と言われ衝撃を受けたそうです。

勘の良い方は気が付いたかもしれませんが、この女性がフィジー人だったのですね。

 

合計で10人のフィジー人がいたので、それから永崎さんは船旅の大半を彼女らと過ごしました。

そして一緒に過ごせば過ごすほど、彼女らは本当に幸せそうに生きていることが伝わってきて、自然と「フィジーに住んでみたい!」思うようになり、2007年6月、フィジーに移住したそうです。

これが永崎さんがフィジーに移り住むまでの、ざっくりとしたエピソードになります。

 

それにしても、初対面の人の別れ話を笑えるなんて、失礼を通り越して、ちょっと素敵だなと思いましたね。

そんなフィジー人は、そもそも また、僕たち日本人はなぜ経済的に豊かなのに幸せを感じられないのか?といった内容を解説してこうと思います。

ではまず最初に、僕たち日本人が幸せを感じられない原因を分析していきますね。

なぜ日本人は不幸なのか?

2011年にフィジーは幸福度ランキングで、調査対象となった58ヵ国中で1位を獲ったのですが、その時の日本のランキングは23位です。

ちなみに経済的な豊かさで言えば、圧倒的に日本の方が上なんですよ。

これは2008年のデータになりますが、フィジーのGDPは36億ドルで、日本のGDPは5兆ドルです。

 

要するに、日本は経済規模で見れば、フィジーの約1400倍も豊かということになります。

にも関わらず、なぜ日本はフィジーより幸せじゃないのか?

永崎さんは、以下3つの原因があると指摘しています。

  • 原因①仕事の優先度が高すぎ
  • 原因②世間体を意識しすぎ
  • 原因③人間関係が希薄すぎる

それぞれ、簡単に解説していきますね。

原因①仕事の優先度が高すぎ

働かざるもの食うべからずと言われるくらい、日本では労働することが美徳とされています。

2018年にOECDなどが行った調査によれば、日本人の睡眠時間は世界ワースト1位の短さと報告されているようですね。

なぜ睡眠を疎かにしてまで働くかというと、高品質を求める国民性が原因だと永崎さんは指摘しています。

 

高品質を提供することは、お客さんにとってはいいことかもしれませんが、働く側にすれば、ただただ大変なだけです。

働きすぎが原因で過労死する人もいる日本ですが、実は、過労死という言葉は英語には存在しません。

理由は、働きすぎて死ぬことなど、外国では発生しないからです。

 

実は英語の辞書を見ると、過労死は「KAROSHI」と表記されています。

当然こんな状態じゃ、いくら豊かでも幸せを感じられないのは明白ですよね…。

原因②世間体を意識しすぎ

日本人は、とにかく周りの目を意識していますよね。

一時期、空気が読めない人は「KY」なんて呼ばれることもありました。

このように、周りの目を意識して生活していると、だんだんと不幸になっちゃうんですね。

 

理由は、本音が吐き出せないと人はストレスが溜まるからです。

心にも思ってないことを言ったり、参加したくないイベント(例えば会社の飲み会など)に参加するのって、すごくストレスが溜まりませんか?

このストレスが溜まる行為を、日本人は日々実践しているわけですね。

 

マイナビの調査によると、約半数の人は会社の飲み会に行きたくないという結果が出ています。

これ、ちょっと衝撃的ですよね。

みんな楽しそうな顔して飲み会を開いていますが、その参加者の半分くらいは心の中で「帰りたいよー」と思っているということです。

 

ちなみに僕も飲み会は好きじゃないので、途中から会社の飲み会は参加しないようにしていました。

でも新人時代は、嫌々参加していたんですよ…。

面白くもない上司の話を、お金を払って延々と聞かされる会社の飲み会は、本当に地獄でした。

 

こんな感じで、周り目を気にして自分らしい行動が取れないもの、日本人の幸せが下がる原因だというのは、めちゃくちゃ納得できますね。

原因③人間関係が希薄すぎる

これは個人的に耳が痛い原因ですね。

人間関係が希薄なのも、日本人が幸せになれない原因だと、永崎さんは指摘しています。

これは1つ目の原因「働き過ぎ」から派生する原因ですね。

 

仕事が忙しすぎて、なかなかプライベートな時間が取れなくなった結果、親友・家族・恋人と過ごす時間が減ってしまい、孤独を感じている人が増えているという感覚がありますよね。

独りで過ごす人が増えた結果、1人席を構える焼肉店なんかもできました。

ネットを見れば、ぼっちで過ごす人が寂しさを紛らわすために、自分の現状を自虐する悲しいシーンがたくさん見られます。

個人的にめちゃ悲しかったのが、友達がいないおーちゃんねるが、クリスマスに虫をトッピングしたクリスマスケーキを食べていたことですね(笑)

いつか彼のそばに理解者が現れることを祈っています。

ちなみに僕も、クリぼっちでした…。

物質的豊かさは、最低限あればいい

以上3つの原因を見て僕が感じたことは、「物質的豊かさなど、最低限でいい」ということですね。

日本はフィジーの1400倍も豊かなのに、幸福度では負けているということは、物質的な豊かさを追い求めても、幸せになれないのは明白です。

先ほど説明した3つの原因を踏まえると、本当に追い求めるべきは、「働きすぎない・自分らしく生きる・密な人間関係を築く」という生き方になります。

 

結論から言っておくと、フィジー人はすでに、この生き方を実現しています。

だから、世界で1番幸せになれるわけです。

では次に、日本人から見たら非常識とも言える、フィジー人の暮らしぶりを見ていきましょう。

フィジー人の非常識な生活

永崎さんはフィジーで生活していく中で、フィジー人が幸せに生活できるポイントは4つあることを発見しました。

その4つのポイントとは、以下のとおりです。

  • 共有
  • テキトー
  • 現在フォーカス
  • つながり

それぞれ、解説していきますね。

共有

フィジー人は日本人に比べて、物を共有する意識が強いようです。

永崎さんはこのフィジー人の性格を、「やさしいジャイアン」と表現しています。

どういうことかと言うと、ジャイアンは「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」という考えで生きていますが、フィジー人は「俺の物はみんなの物、お前の物もみんなの物」という考えで生きているということです。

自分のシャツを勝手に着るフィジー人

永崎さんはフィジーに移住して数ヶ月は、フィジー人の家にステイホームしていました。

そしてある日の夕方、干していた自分のシャツを取りに行こうとしたら、自分のシャツがありません。

おかしいなーと思いつつ、シャツを探すために家に入ってみると、なんとホストマザーの息子が永崎さんのシャツを着ていたんですよ(笑)

 

当然永崎さんは、「それ、僕のTシャツだよ」と指摘します。

それを聞いた息子さんは満面の笑で、「そうやねん。ピッタリやろ」と言ってきたそうです。

ちなみに息子さんは、これをボケでやっているのではなく、本当にシャツを着たくて着ていたというのが、今回の話のポイントです。

 

日本人の感覚だったら、他人のTシャツを勝手に着るなんてあり得ないですよね。
でもこれはフィジー人にとっては、当たり前のことなんですよ。
h4フィジーには「ケレケレ」という文化が根付いている

フィジーには「ケレケレ」という文化が根付いています。
意味は、「お願い・ちょうだい・貸して」という言葉を融合させた感じらしいです。
要するにフィジー人は、誰に対しても気軽に貸し借りする国民なんですよ。

だから永崎さんのTシャツを勝手に着るのも、彼らにとっては普通のことなんです。

なぜ「共有」が幸せにつながるのか?

なぜフィジー人が実践している「共有」は幸せの要因になるかというと、それは、自分の存在価値を確認できるからです。
例として、学生時代に漫画の貸し借りをしたことを思い出してください。
ただ単に漫画を貸し借りしただけなのに、お互い、嬉しい幸せな気持ちになりましたよね。

ここで、アドラーの言葉を紹介したいと思います。

自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」「わたしは共同体にとって有益だ」と思えて初めて、我々は自らの価値を実感することができる。共同体の中で生きていく最大の不幸は、自分がまわりに必要とされないと感じる孤独感であり、最大の幸せは、人に必要とされること

この言葉、あなたも思い当たる経験があると思います。
ちなみに僕は昔ラーメン屋でバイトしていたことがあるんですけど、全然仕事ができなかったんですよ。
その時の、周りからの「お前は必要ない」という無言の圧力はめちゃくちゃ辛かったですね。

逆に小論文の添削の仕事をしたときに、「助かりました!」という言葉をもらえた時は、すごく幸せを感じました。

これからは、ギブ&ギブで生きよう

では「共有」を通じて自分の存在価値を感じるためには、どんなことを意識すればいいのでしょうか?
結論から言うと、ギブ&ギブの精神を意識すればOKです。
とにかく見返りを求めずに、他者に貢献することだけを考えればいいんです。

ただしこの考えは、言うのは簡単ですが、実行するのは難しいですよね。
僕だって、この考えを実行できていません。
ただ理屈で考えると、貢献すればするほど存在価値を感じられるし、返報性の法則によって、結局は何かしらの利益は得られるんですよ。

まずは実行できる範囲からでいいので、見返りを求めず他者に貢献してみてください。
僕もギブ&ギブの精神を発揮できるよう、できる範囲から頑張っていきます。

テキトー

2つ目の幸福ポイントは、「テキトー」です。
この「テキトー」という精神が、個人的に日本人に1番足りていないのかなと感じています。
もちろん、なんでもかんでもテキトーにやれと言っているわけではありません。

ただ、日本人は真面目に生きすぎているため、ストレスがたまり、幸福度が下がってしまっているんですよ。
対してフィジー人は、テキトーに生きているので、ストレスがたまらない国民と言えるでしょう。
では具体的に、フィジー人がどれだけテキトーに生きているのか?その実例をご紹介します。

誕生日の容疑者を釈放

あるフィジー人の男性が、窃盗の容疑で捕まってしまいました。
その男性が裁判にかけられていたんですけど、裁判中になんと「今日は僕の21歳の誕生日なんです。誕生日パーティーをやりたいんで保釈してくれませんか?」と頼みました。
もし日本だったら、「認められません」と言われて終了です。

しかしフィジーの判事は、彼にこう告げました。
「誕生日おめでとう!出生証明書と保釈金3000ドルを預けくれたら保釈するで!」
そして彼の両親が、出生証明書と保釈金3000ドルを用意して、無事に誕生日パーティーを開催できたそうです。

いやー、素敵な話ですよね。
日本じゃ考えられません。

なぜ「テキトー」な社会が成り立つのか?

なぜこんな「テキトー」がフィジーではまかり通ってしまうのか?
理由は、成功と失敗が自分次第ではないと考えているからなんです。
フィジー人は会社に遅刻しても、仕事でミスをしても、そのような結果は神が決めたことで、自分ではどうしょうもないと考えています。

日本でそんな考えを持っていたら、クズ扱いされて終了ですよね。
でもフィジー人は本気でそう考えているので、「失敗しないように頑張ろう」という意識が低いんですよ。
だから、未来に対して過剰に不安になることもないし、失敗してもっへっちゃらというわけです。

いい具合にテキトーになるためのコツは?

テキトーになればもちろん心は軽くなりますが、いきなりテキトーな人になるなんて、凄く難しいですよね。
そんなあなたに、テキトーに生きていると自負する僕から、1つアドバイスしておきます。
テキトーに生きるコツは、他人に完璧を求めないことです。

他人に完璧を求めるから、巡り巡って自分の首を締めることになるんですよ。
例えば宅急便の配送が5分送れたら怒る」人が世の中にはいるみたいですが、僕は絶対に怒りません。
「まあ、そういうこともあるよね」という感じでサラッと流します。

このように他人を許せるようになると、自分のことも許せるようになるのです。
もちろん、完璧を追い求めたい人は、僕のマネなんかしないほうがいいと思います。
ただし幸せになりたいなら、他人に完璧を求めない意識は不可欠だと思って下さい。

現在フォーカス

3つ目の幸せポイントは、現在フォーカスです。
要するに、今を生きろということですね。
日本人は過去のことを後悔したり、未来に対して不安を抱いたりしがちですよね。

僕もダメとは頭で理解しつつも、後悔や不安を心に浮かべちゃうことはよくあります。
対してフィジー人は、常に「今をどう生きるか」という視点で生きています。
本書中に不謹慎だけど素敵な話がありましたので、ご紹介します。

怪我人の横でふざけるインストラクター

これはある日永崎さんが、ジムのランニンマシーンで汗を流していたときのお話です。
ランニングをしていたら突然、「あっ!」という悲鳴が聞こえました。
後ろを振り返ると、ムキムキのフィジー人が左足を押さえて苦しそうにしていたそうです。

彼の左足の先を見てみると、血で真っ赤に染まっています。
どうやら、鉄アレイを落としてしまったそうです。
そしたらインストラクターは手当のために脱脂綿を持ってきて、その脱脂綿に消毒液を染み込ませました。

当然その脱脂綿を怪我した左足にあてるのかと思いきや、なんとインストラクターは自分の足に脱脂綿をあてはじめたんですよ。
どういうことかわかりますか?
これ、怪我人を手当しないで、怪我をしていない自分を手当するというボケをかましたんですよ(笑)。

その様子を見て、怪我人は苦しみながらも笑っていたそうです。
もし日本でこんなことやったらどうなるでしょうか?
大炎上して、インストラクターは即クビになるでしょうね。

でもフィジーでは、こんな状況でも笑える状況を作ります。
なぜなら今を生きているからです。
この姿勢、見習いたいと思いました。

なぜフィジー人は今を生きれるのか?

なぜここまでフィジー人は、今を大事に生きられるのでしょうか?
永崎さんによると、理由は3つあるそうです。

  • 反省する習慣がないから→失敗してもそれは神が決めたことなので、しょうがない
  • 計画を立てる習慣がないから→失敗しても責められないので、計画を立てる理由がない
  • 悲劇をネタにする習慣があるから→娯楽の種類が少ないので、会話から楽しみをつくるしかない

この性格、日本だったらどうですかね?
めちゃ好かれるかめちゃ嫌われるかのどっちかになりそうな予感がします。
でもよくよく考えたら、こういう人って、凄く幸せそうに生きていますよね。

この話で特に僕がグサッときたのが、「悲劇をネタにする習慣がついている理由」なんですよ。
娯楽が発達しすぎたがゆえに、会話を楽しめなくなっちゃったような気がして、なんか悲しくなりました。
これから友達と遊ぶときは、会話を中心に楽しむ意識を持とうと思いましたね。

僕たちが今を生きるためにできることは?

まあ、いきなりフィジー人のように今だけに生きるなんて、簡単にはできません。
でも今をいきるためにやれることはあると、永崎さんは言います。
その方法とは、ミニマリストになることです。

なんでミニマリストになると今を生きられるかというと、モノに対して費やす時間が減るからです。

具体的には、以下のような時間が減ります。

  • 買い物の時間
  • 何を使うか迷う時間
  • 商品の広告に踊らされる時間
  • モノを探す時間

以上4つの時間は、ただモノを管理したり売買するだけの時間ですので、今を生きているとは感じられないですよね。

なのでミニマリストになるだけでも、だいぶ今を生きられるようになるんですよ。
ちなみに僕も、ミニマリストでして、使わないと思ったものは躊躇なくどんどん捨てていきますし、新しいモノを買うときも「本当に必要なモノかどうか?」と慎重に検討します。

いきなりフィジー人のように過去も未来も考えずに生きるのは難しいと思いますので、まずは不要なものを「捨てる・買わない」という取り組みから始めてみて下さい。

つながり

最後にご紹介する幸せポイントは、「つながり」です。
SNSを使って誰とでも簡単につながれる時代になりましたが、なぜか孤独を感じる時間って多いですよね。
そんな孤独な時間が続くと、やはり幸せな気分ににはなれません。

日本人は世界的に見ても、人見知りの傾向がありますので、つながりが希薄な方だと思います。
ある調査によると、友人や同僚との交流が全く無い人が日本には15.3%いるみたいです。
対してフィジー人は、誰とでも光の速さで仲良くなります。

フレンドリーなレジ店員

ある日永崎さんがフィジーで買い物をしているときに、レジのお姉さんが話しかけてきました。
「どっから来たん?」と聞かれたので、「日本です」とこたえると、二言目に「結婚してんの?」とお姉さんが質問してきたらしいです。
日本じゃ、まずあり得ないですよね。

さらに、お姉さんは畳み掛けてきます。
永崎さんが「独身です」とこたえると、「かわいそうに、誰か紹介したろか?まあ、私は結婚してるから無理やけど(笑)」と返してきたそうです。
補足しておきますけど、このお姉さんとは、もちろん初対面ですからね。

こんな感じで、フィジー人はとにかくフレンドリーに話しかけてくるのが当たり前のようです。

なぜフィジー人はすぐに「つながり」をつくれるのか?

なぜこんなにも一瞬で、フィジー人は人とつながることができるのか?

先ほどお話したように、「誰とでも共有するのが当たり前だから」とか「会話を楽しんでいるから」という国民性がありますので、すぐ誰とでも仲良くなれるのはなんとなくイメージできますよね。
そういった理由に加えて、「ブラ」と「カバ」という文化もつながりを強固にしている理由だと、永崎さんは言います。

ブラというのは、フィジー語でこんにちはという意味です。
このブラという言葉には、挨拶以外にも、「あなたに心をひらいていますよ」という無言のメッセージが込められているように感じるみたいですね。
この挨拶を互いにすることで、一瞬でフィジー人は仲良くなれるのです。

カバというのは、飲み物です。
コショウ科の木の根っこを乾燥させて、粉状にしたものを布で包んで、水で絞り出したものになります。
見た目は泥水で、飲むと舌がピリピリとしびれるようです。

フィジーにはこのカバを使った飲み会が頻繁に開催されます。
この飲み会は「カバ・セッション」と呼ばれており、このイベントのために生きていると言っても過言ではないくらい盛り上がるそうです。
この「カバ・セッション」でどんどんつながりがつくられていくので、誰に対してもフレンドリーなれるんでしょうね。

僕たちがつながりをつくるためには、なにをすればいいのか?

日本には「ブラ」も「カバ」もありません。
そんな僕たちは、つながりをつくるためにどんな手段が考えられるでしょうか?
現実的な話をすると、「仲間と呼べそうな人が集まる組織に加入する」という手段が考えられます。

本来は誰とでもフレンドリーになるのが理想ですが、大半の日本にはおそらく難しいですよね。
僕もいろんな人と仲良くなれたら嬉しいですけど、そんなの無理です…。
なのでまずは、気が合いそうな人と集まるところからスタートするのが、現実的かなと思います。

具体的には、オンラインサロンなんかが考えられます。

例えば学ぶのが好きだったら、あっちゃんが運営しているPROGRESSに入れば、気の合う仲間が見つかるかもしれません。
こんな感じで、どんな形や手段でもいいので、気が合いそうな人とつながることが、僕らにとってスムーズにつながりをつくれるのかなと思います。

そして最終的に、フィジー人のように別け隔てなく誰とでも仲良くなれたら、本当の幸せをつかめるかもしれません。

まとめ

ここまで見ていただき、ありがとうございました。
では、今回最も伝えたかったことを、一言でいいますね。
それは、「社会との結びつきを持ちましょう」ということです。

フィジー人が幸せに生活できるポイントとして、以下4つのポイントをあげました。

  • 共有→なんでも共有することで、結びつきがうまれる
  • テキトー→寛容な心を持てるので、多様な人と結びつきが生まれる
  • 現在フォーカス→目の前の人にフォーカスできるので、結びつきが強くなる
  • つながり→すぐ仲良くなれるので、結びつきもすぐ強くなる

こんな感じで、この4つのポイントは、どれも社会との結びつきを強くするための発想なんですね。
また、マーティン・セリグマンとエド・ディーナーという博士の研究によると、幸福度の高い上位10%の人たちの共通点は、「社会との結びつきが強いことだけ」なんだそうです。
もうここまで見てきたあなたは、幸せになれる方法が手に取るようにわかったと思います。

 

ただし、その方法を実践するのは日々の積み重ねが重要です。
僕もまだまだ実践できていないことがほとんどですので、一緒に社会との結びつきを持てるように、努力していきましょう!

なお、今回は本書の主張を簡潔に伝えるために、ご紹介できなかったぶっ飛びエピソードがまだまだたくさんあります。

特に泥棒が被害者と利益を山分けするエピソードはホントに漫画みたいでめちゃくちゃ面白いので、興味を持った方はぜひ本書を手にとって読んでほしいと思います。

では、以上です。

良き読書ライフを!