中村天風って、どんな人なんだろう?
こういった悩みを持っている方に向けて、この記事は作成されています。
大谷翔平も影響を受けたという、中村天風さん。
非常にファンが多い方ではあるのですが、一般的に有名かと言われると、そうでもない印象です。
ただ、数え切れないほど多くの方に影響を与えた人物であることは間違いなく、天風さんに関する書籍は多数出版されております。
また、中村天風財団(天風会)という財団も運営されておりまして、ご逝去された今でも影響を与え続けている、まさに偉人と呼べる方です。
そんな天風さんの人物像を、今回は詳細に解説していきます。
では、さっそく解説に移ります。
【壮絶!】中村天風とはどんな人?幼少期から晩年に至るまでの人生を解説!【人物像】
では、時系列にそって人物像を解説していきます。
生まれは?
1876年7月30日、天風さんは八王子で生まれました。
学生時代
中学生になった天風さんは福岡県にある、修猷館(しゅうゆうかん)中学に入学したのですが、そこである大事件を起こしてしまいます。
柔道部のエースとして活躍していた天風さんは、練習試合である高校の柔道部に圧勝しました。すると復讐のために、その高校の生徒が天風さんを闇討ちしにきたのです。
その生徒は出刃包丁を持って飛びかかってきたのですが、天風さんは逆にやり返し、なんとその生徒を刺殺してしまいます。
正当防衛として認められたものの、天風さんは学校を退学となりました。
諜報員時代
その後は玄洋社という政治団体に入り、諜報員として働くこととなります。
主な活動場所は旧満州でして、そこでは橋を爆破したり、人を切ったり、敵兵に捉えられ命を奪われかけるなど、壮絶な人生を歩んできました。
その後は帝国陸軍で翻訳の仕事をしていた天風さんは、肺結核を患ってしまいます。
この結核が、天風さんの人生のターニングポイントとなったのです。
天風さんはオリソン・スウェット・マーデンの『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘を受け、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、アメリカへ渡る決意をしました。
医学を学んでいた日々
アメリカではコロンビア大学に入学し、自らの病の原因を解明するために自律神経系の研究を行います。
天風さんは精神的な教えを説いているイメージですが、実はしっかりとした医学の知識も持ち合わせているのですね。
しかし、いくら医学を突き詰めても、結核が治る気配はありません。
カリアッパからの教えが人生の転機に!
天風さんは、1911年5月25日に日本への帰路に就きますが、その途中経由地であったエジプトのアレキサンドリアにて、ヨガの聖人と呼ばれるカリアッパという人に弟子入りをします。
そして修行を重ねていく過程で、なんと天風さんの結核が完治したのです。
この経験を軸として、様々な教えを説く人生を歩むようになるのですね。
天風会を設立
帰国後は記者として、ときには銀行の頭取として働いた天風さん。
しかし突然、自身の財産を処分し、1919年6月8日に「統一哲医学会」を創設します。
そこでは「心身統一法」という教えを説き、いかに心の置きどころが重要かをたくさんの人に教えてきます。
1940年には「統一哲医学会」を「天風会」に改称。
ひたすら自身の教えを広めてきた天風さんは、1968年12月1日に亡くなりました。
ちなみに天風会は、今も運営されております。
中村天風の人物像は、ここに注目!
注目してほしいのは、結核を患ってから治るまでの過程ですね。
医者に見てもらっても自分で研究しても、全く結核を治すことができなかったのですが、なんとカリアッパの元で修行を重ねていくことで結核が治ったのです。
この経験があったことで、「心の置きどころ1つで人生は激変する」と天風さんは確信したのですね。
この考えは科学的とは言えませんが、科学的でなくても問題ないというのが天風さんのスタンスです。
そもそも科学は万能の学問ではなく、ほとんどのことは明確に証明できません。そのことを、医学の道を極めた過程で痛いほど味わっています。
だから自分の中に確固たる信念を持って、それを心の拠り所とする意識が必要となると考えておりました。
中村天風が説く教えとは?
天風さんは講演会を通じて、あらゆる教えを説いておりました。
その教えの幅はとても広いのですが、一言でいえば「積極的な心を獲得すること」が教えの軸になっています。
ただ、「積極的な心を持て」と言われても、その教えに込められている本当の意味とか、熱量とか、具体的な方法とかが全く分からないと思います。
真に教えを理解するためにはですね、書籍を読み込んで理解するのが一番です。
オススメの書籍は『運命を拓く』です。
天風さんに関連する本は数多くありますが、最も有名なのがこれですね。
また、『運命を拓く』を解説した動画を作成しておりますので、よろしければぜひご覧になってください。
中村天風の人物像まとめ
今回は中村天風さんの生まれから晩年にかけての人生を解説しました!
ポイントをおさらいすると、以下のようになります。
- 命がけのミッションをこなす日々を送っていた
- 30歳の時、不治の病を患った
- カリアッパの元で学ぶことで、肺結核が完治
- 自身の人生を元にした教えを、天風会にて説いていた
だいたい、この辺りをおさえておけばOKです。
なかなか謎の多い人でもありますが、あの大谷翔平に影響を与えたという事実もあります。
ぜひ今回の記事をキッカケに、中村天風について学んでみてください。
では、以上となります。
ありがとうございました!