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こんにちは、こんばんは、TKです。
今回ご紹介するのは、橘玲さんの著書「無理ゲー社会」という本です。
はい、なかなかショッキングなタイトルですよね。
難易度の高いゲームがクリアできなくて、「これ、無理ゲーだろ」と思ったこと、あなたも一度はあると思います。
ただ、本書の言う無理ゲーはゲームの中の話ではなく、現実世界のお話なんですね。
では、橘さんは具体的に社会のどんな部分を無理ゲーと表現しているのか?
結論から言うと、「自分らしく生きられる世界」を無理ゲーと言っているのです。
はい、この主張を聞いてどう思ったでしょうか?
おそらく、「自分らしく生きられる世界の何が悪いの?逆に良い世界じゃん!」と思われた方が多いと思います。
もちろん、自分らしく生きられる世界には良い側面もあるでしょう。
しかし、「自分らしく生きられる世界」には大きな落とし穴があって、むしろ残酷な社会を生み出す原因になっているというのが、橘さんの主張なんですよ。
今回は、そんな橘さんの主張の根拠を解き明かしつつ、この世のリアルに触れていただこうと思います。
具体的には、以下3つのテーマを解説していきます。
- ① 何が無理ゲーなのか?
- ② メリトクラシーの落とし穴とは?
- ③ 無理ゲー社会を生き抜く方法は?
では、1つ目のテーマから見ていきましょう!
① 何が無理ゲーなのか?
まず本書は、衝撃的なアンケート結果から始まります。
ある政治家がSNSで「あなたの不安を教えてください」と聞いたことがありました。
すると、信じられないような要望が殺到しました。
ちょっとショッキングな言葉が多用されていますので直接の引用は控えますが、相当に絶望に満ちた要望です。
これらの要望に表れているのは、単なる生きづらさではありません。
「対処不能な現実を突きつけられてしまい何も希望が持てない」
まさに無理ゲーに直面したような絶望が表れています。
では、なぜ彼らはこんなにも絶望に満ちた人生を送っているのでしょうか?
橘さんは原因として、「世界がリベラル化していること」を主張しています。
リベラルとは「自由な」とか「自由主義の」という意味があります。
つまり世界がリベラル化しているとは、「自分の人生は自分で決める」「全ての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだ」という価値観が広がっていること意味しているのです。
はい、「自分らしく生きられる社会」と聞くと、なんだか悪い気はしないですよね。
誰だって制限だらけで自分らしく生きられない社会は望んでいませんから、「自分らしく生きられる社会」は良い社会のように思えます。
しかしですね、この社会にはデメリットもあるんですよ。
では、「自分らしく生きられる社会」を目指すと、今の社会と比べて具体的にどんな変化が起こるのかを見ていきましょう。
橘さんは、リベラル化の加速によって「自己責任が強調される」と主張します。
なぜかと言うと、「自分らしく生きること」と「自己責任」はセットだからです。
例えば身分制社会では、生まれたときの身分によって職業や結婚相手など、人生の方向性が生まれた瞬間にある程度決まってしまいます。
これはとても理不尽なことですが、責任を問われることはありません。
なので、自分の人生の結果がどうあれ、「生まれのせいにできる」というのが身分制社会の特徴です。
良い結果が出ても、悪い結果が出ても、その要因は「生まれ」なんですよ。
しかし、「自分らしく生きられる社会」ではどうでしょうか?
どんな人生を歩むのもその人が決められるわけですから、成功も失敗もすべて自己責任と考えられますよね。
これが、「自分らしく生きられる社会」の怖いところです。
今まではどんなに悪い結果が出ても、それは生まれのせいにできたんですよ。
だから、自分の能力自体を惨めに思うことはありません。
しかし、全てが自己責任となってしまえば、失敗したときに大きな絶望を味わうわけです。
言葉にするなら、「なんて俺はダメな奴なんだろう…」という感じですね。
これが、「無理ゲー社会」を生み出す原因となっています。
しかし、「自分らしく生きられる社会」には当然良い側面もあります。
それは、純粋に能力が評価されることです。
そのような社会のことを、「メリトクラシー」と言います。
個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会を指す「メリトクラシー」
このメリトクラシーからは、努力しなかったものには厳しい現実が待っているが、努力した人は報われるようなイメージを受けます。
このメリトクラシーを元に考えると、「自分らしく生きられる社会」において失敗した人は、なんだか自業自得のように思えてきますよね。
つまり、「努力が報われる世界で努力しなかったお前が悪い」ということです。
しかし、この発想には大きな落とし穴があります。
では次に、このメリトクラシーの落とし穴を見ていきましょう。
② メリトクラシーの落とし穴とは?
メリトクラシーには、「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢でもなかう」という信念があります。
この信念が、リベラル化を加速させているのです。
ただ橘さんは、この信念を「そんなものは神話だ」とバッサリ切り捨てています。
なぜ神話と言えるのか、その根拠を解き明かしていきましょう。
まず「リベラル」な社会では、差別は許されません。
ここで言う差別とは、本人が選択できない属性で選別することを意味しています。
つまり、「国籍・性別・年齢」などで選別するのは差別になるのです。
したがってリベラルな社会では、「本人の努力によって向上させられるもの」を選別の理由にすることが求められます。
そして、「本人の努力によって向上させられるもの」の代表例が、学歴です。
学歴が低いことの理由は、「本人が努力しなかった結果だから、そこは自己責任だよね」と言えます。
だから、学歴を選別の理由にしても差別じゃないという言い分ですね。
はい、これだけ聞くと筋が通っているようには思えます。
本人が勉強さえ頑張れば、生まれに関係なくテストで良い点を取ることはできそうですからね。
はい、以上のお話がメリトクラシーを支える発想となります。
しかし、この発想には大きな落とし穴があるんですよ。
ではここから、大きな落とし穴と言える根拠を2つ説明します。
1つ目の根拠は、知能は遺伝するからです。
行動遺伝学が半世紀にわたって積み上げた知見によると、知能の遺伝率は年齢とともに上がり、思春期を終える頃には70%にまで達するとされています。
つまり、入試を受ける年齢になる頃には、親の知能の70%が子供に関わってくるということです。
この事実を踏まえれば、学力で選別するのは差別に当たります。
なぜなら生まれた瞬間に、知能がある程度決まってしまっているからです。
つまり、入試の結果で選別するのを許した瞬間、自己責任を根底としたリベラル化など成り立たないことになります。
2つ目が、能力を獲得できたのは偶然だからです。
この根拠は、以前解説した「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の内容が絡んできます。
「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の中でマイケル・サンデルは、成功できたのは偶然、つまり運のおかげなんだよという主張をしています。
なぜ成功したのは運のおかげと言えるのか?
それは、成功の要因となった能力を獲得できたのは、偶然の結果だからです。
1つ目の根拠でも言いましたが、子供の知能に親の遺伝は大きく影響しています。
また、入試で良い点を取るための教育を受けられるのは、親がお金持ちの子供ばかりなのが事実です。
もちろん子供自身が勉強する努力も必要ですが、その努力ができる環境をGETできたのは、生まれた環境が良かったからとも言えますよね。
はい、このように考えると、「本人の努力によって学歴は向上させられる」とするのは大きな問題があることがわかります。
しかし現実を見ると、「学歴は本人の努力で獲得できるもの」とされていますよね。
したがって、世の中は学歴によって給料や地位が決まるのが当たり前となっています。
そしてその現実を背景として、メリトクラシーを良しとする人は、「努力すれば良い暮らしができるんだから、努力すばいいじゃん」と言うわけですね。
ただ、今まで見てきたとおり、生まれによって学歴を獲得できる難易度には相当なバラツキがあります。
しかしそんな事実は見て見ぬ振りをされてしまい、「この世は無理ゲーだわ…」と絶望する人が生まれてしまうのです。
はい、ここまでのお話を聞いたことで、「無理ゲー社会」が生まれる原因がなんとなくつかめてきたと思います。
では最後に、そんな無理ゲー社会を生き抜く方法を考えていきましょう。
③ 無理ゲー社会を生き抜く方法は?
結論から言うと、橘さんは無理ゲー社会を生き抜く方法として、以下のような言葉を残しています。
生まれ落ちた瞬間にすべてが決まっているわけではなく、自分の手で運命を切り開いていくことはできるはずだ。これからの時代に求められているのは、こうした不都合な事実を受け入れたうえで、”よりよい社会”を構想する「進化論的リベラル」なのではないだろうか。
出典:無理ゲー社会
はい、まず伝えておきたいのは、「不都合な事実を受け入れましょう」ということですね。
どんなに理想的な社会を目指そうとも、完全に平等な社会など実現できるわけなどありません。
これからも格差は存在し続けますし、失敗したことを自己責任にされ続けるでしょう。
しかし、その現実を変えるのは難しいので、まずは受け入れてしまったほうがいいです。
格差も理不尽もある。
残念な事実ですが、これは受け入れましょう。
ただ、絶望する必要はありません。
なぜなら、生まれた瞬間に全ての結果がきまるわけじゃないからです。
今画面に出ている図は、合計1455万8903人の双生児を対象とした、性格や能力の分析結果です。
遺伝率は、言葉の通り遺伝で決まる確立を意味しています。
共有環境は、一般的には家庭環境のことを意味しています。
非共有環境は、「学校・友達・教師」など、家庭の外の環境を意味しています。
この図を見ると、遺伝で決まる部分は大体50%前後となっています。
これは変えようが無いですから、諦めるしかありません。
ただ、裏を返せば、能力の50%は自分の頑張り次第で変えていけるのです。
もちろん、家庭環境や家庭外環境も生まれた瞬間にある程度決まっていると思いますから、厳密には能力の50%を自分の力で変えてはいけないかもしれません。
しかしここで言いたいのは、厳密な数字の話じゃありません。
ここで言いたいのは、「理不尽な世の中だけど、ある程度は自分の手で運命を切り開けるよ!」ということです。
自分じゃどうしょうもできないことは諦めて、自分の手で切り開いてけるとことに力を注げばれば、少しは絶望する人も減っていくのかなと思います。
まとめ
はい、これで「無理ゲー社会」の解説は以上になります。
今回のお話はなかなか残酷だったので、ちょっと暗い気持ちになったかもしれません。
ただ、これが現実ですから、逃げずに何とか受け止めてほしいと思います。
暗いお話が続きましたが、最後に光への道標は指し示したつもりです。
努力で変えられる部分もありますので、絶望しすぎることなく、変えられる現状だけに意識を向けていきましょう。
また、今回ご紹介したのは本書の一部分であり、まだまだ紹介できていないお話がたくさんあります。
今回はやや表現をマイルドにしましたが、本当はもっと残酷なお話や表現があります。
勇気のある方はぜひ本書を手にとって、読んでみてください。
はい、最後まで見ていただいて、ありがとうございました!